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人はなぜ生きるのだろうか?

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人はなぜ生きるのだろうか

したくもない仕事に縛られ、

 

属したくもないコミュニティに絡め取られて、

 

顔も見たくない相手と同じ食事の席に着き、

 

心身に鞭打って社会の歯車となることがよしとされる。

 

 

 

人はなぜそうまでして生きるのだろうか。

 

 

 

生物の誕生以来受け継がれてきた遺伝子は、私たち人間の時代になると記号を残すようになった。

 

絵であり、文字であり、デジタル化された情報である。

 

地球という星の生物の成長課程において、将来生身の肉体では生存できなくなるであろうことを、人間は優れた頭脳を駆使し、滅亡の可能性に対する保険として生体機能をコンピュータや機械に移行している。

 

その過渡期に、「私」は生きている。

 

 

 

人間は遺伝子の乗り物にすぎない。 人間だけじゃない、微生物も、植物も、深海魚も、昆虫も、鳥も、恐竜も、・・・、すべて遺伝子の乗り物なのだ。

 

生物の起源とされるウイスルでさえも、遺伝子が他の星から移動するための乗り物だったのかもしれない。

 

かもしれない、というか、きっとそうだ。

 

人間が他の動物よりも秀でている能力は、体温調節機能である。汗をかいて体温を下げることができるのだ。 移動速度の速いチーターなどは短距離の移動こそ得意だが、長距離の移動は苦手だ。体温が上がってしまいすぐに疲れて動けなくなってしまう。

 

一方人間は体温調整機能に優れているため、歩行や走りによる長距離の移動が可能なために、世界各地へと広がっていき地球上で繁栄したのである。

 

それに相まって脳の発達により道具を次々と創りだして、車や船、飛行機で人とモノの移動や食料や道具等の物流が容易になり、その繁栄を長きにわたらせようとしている。

 

そして遺伝子は進化によって肥大化させ機能を向上させた人間の脳を用いて、地球上の様々な研究や宇宙の研究を進め多くの情報を獲得している。

 

 

 

「生きる」という意思、あるいは本能は、単に遺伝子がインプットしたプログラムを実行しているだけにすぎない。

 

運命とはプログラムであり、欲求もプログラムであり、感情すらプログラムである。

 

この星がいずれ赤色巨星と化した太陽に飲み込まれる頃には、もっとも単純化された形態で地球外へ飛び出すだろう。

 

だとすれば、今なぜ人間という形が存在するのだろうか。

 

そして遺伝子は同じ歴史をループしていることになる。

 

到着先の新しい星で、同じような進化を遂げ、人間となり、またウイルスへ戻る。

 

 

 

しかし、人間が、あるいは人間が開発した知能を持ったサイボーグが、そのループを止めることになるのかもしれない。

 

脳の機能をさらに向上させ、原罪の常識を超えた科学で永久機関が実現すれば、サイボーグに遺伝子が乗り込んで、宇宙に出て行くことが可能になる。

 

そうすればウイスルにリセットされず、「進化状態でニューゲーム」が可能になる。

 

遺伝子がなぜそんな長い旅を続け、存続しようとしているのかは、謎である。

 

 

 

徴税システムによる富の配分機能は、ライフラインの確保により人間が生存する確率を上げるための方法にすぎない。 それが最適かどうかは別として、少なくとも人間は人間を死なせないために社会を形成している。

 

頭脳を駆使して多くの仕組みや道具を向上させている一方で、人間はエラーばかり起こしている生き物だ。 しかしそのエラーすら後世へ累々と継承されていく遺伝子情報の更新材料となっているのだろう。 同じ種でも多様な個体が誕生し、多様な生涯を過ごし、それぞれが子孫を残していく。

 

簡単に言えば、いつの時代にも「劣った人」と「優れた人」がいるのはそういうことなのだろう。 必ずしも「劣った人」がエラーであるとは限らない。 「優れた人」にもエラーは必ず存在するのだ。 

 

 

このような大きな物事の見方では、「私」という個体の存在は大きな意味を持たない。いや、大小にかかわらず意味そのものを持たない。

 

少なくとも「私」は、そう考える。

 

きっと「私」は、目的地をインプットされていない乗り物なんだろう。